子育て、インナーチャイルド育て

海外での子育て&私の産後うつ記録

ポジティブとネガティブを自由に往来できる空間

今までたくさんの本を読んだり、

セミナーに参加したり、

カウンセリングやコーチングを受けて来た。

その中で、ずっと感じていたことがある。

 

それは、

ポジティブとネガティブという間に

見えない厚い壁があるということだ。

 

あるセミナーやコーチングでは

全面的にポジティブな雰囲気で、

その場はなんとなく

ポジティブになった気にはなるのだが、

家に戻るとまた元通り…。

あるいは、その場にいると

なんとなくの雰囲気で

ネガティブな自分を出してはいけないような…。

 

かと言ってカウンセリングを受けてみると

しんみりとしすぎてしまって

それはそれで、

ポジティブな自分を出してはいけないような… 

そんな気持ちになっている。

 

私は最近、

どちらの空間もなんだか違和感を覚えている。

なんだか窮屈な感じがするのだ。

どの空間でも、

どこかで自分の一部を

抑えてしまっているように思うからだ。

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毎日、子供と接しながら感じるのは

晴れの日や雨の日があるように

彼女はつまらない時はつまらない顔をするし、

不満であれば思い切り顔をしかめ、

寂しければワンワン泣き、

楽しければ思い切り楽しそうな表情をする。

彼女は人の顔色を伺うということは全くない。

そんな彼女を見ていると私はとてもうらやましく思う。

 

きっと昔は、今の私の子供のように

ポジティブやネガティブの間を

行ったり来たりしていたと思うし、

それはただ現れては消えていったのだと思う。

彼女のように自然体だったと思う。

 

それなのに、いつの間にか私は

先生や親の前ではいい子に、

家族の前ではこうあるべき、だとか。

ママ友の前では愛想を振りまくべき、とか。

セミナーの空気に合わせて前向きに、などなど。

固定された仮面を被り続けて生きるようになったのだろう。

 

ポジティブとネガティブを

自由に行ったり来たりすることが許されている空間。

それは一体どこにあるのだろう?

最近はそんなことを思っている。

 

そもそも人はポジティブとネガティブを

両方とも同じように持っていて

それを分けてしまうことはできないはず。

 

その人の背景や今の状況によって、

「今は」ポジティブなアプローチが効果的なこともあれば

「今は」ネガティブからのアプローチが必要なことがあるはず。

 

どちらにしても本来の自分を思い出すという

ゴールには変わらないはずだからだ。

 

喜怒哀楽、

色んな私を抑えることなく

柔軟に丸ごと受け止めることができる空間。

そんなスペースを作れたらいいなぁ。

ぼんやりとそんなことを思っている。