子育て、インナーチャイルド育て

海外での子育て&私の産後うつ記録

あたたかい眼差し、あたたかい気持ち

今日は子供を連れて少し遠くの

日本スーパーのあるところまで行ってきた。

 

日本スーパーまではフェリーと電車を乗り継いだ。

 

往復の道のり、子供連れでいると

電車に乗り合わせた人たちは

私が不便そうにしていると

「こっちに座る?」とすぐに声をかけてくれたり

私が子供を抱っこしてベビーカーを押していると

老人の方が隣に座っている若者に

「あなたたち若いんだから譲ってあげなさいよ!」

と言ってくれたり。

出口でベビーカーを持ってくれたり…。

本当に感動する。

 

こんな社会のあたたかい眼差し。

今思い出しても、とっても心が温かくじんわりする。

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じんわりと照らしてくれている太陽みたいだ。

 

一歳、そして出産一年後の私たち夫婦の関係

私たち夫婦の関係は完全に冷え切っている。

この一年間、そして今日一日、

特にそれを思い知らされた。

 

今日は子供の誕生日。

生まれたばかりの時に

写真を撮ってあげられず

今日はプロのカメラマンにお願いして

写真撮影をしてきた。

 

そんな子供の誕生日の時に

改めて旦那の私に対する目線を感じた。

写真って本当に恐ろしい。

 

旦那はもともと写真を撮るのが好きで

今日も途中途中で彼が

子供の写真を撮っていたが

彼のアップデートした写真を見て

私はかなりショックを受けた。

 

彼が何十枚も撮った写真の中には

「父と娘」の写真や

「両親と孫」の写真ばかり。

そこに私の写真、私への目線は

ほとんどなかった。

 

そしてさらにショックだったのは

私が子供の服装などを直している

まるで「女中」のように世話している

写真を平気でアップデートしていることだった。

 

その彼のアップデートしている

写真の数々を見ていると

私はとても悲しい気持ちになった。

私はとても辛かった。

 

ファインダーと通して

私の存在がなんなのかということを

突きつけられているように感じた。

 

そう。

彼はもはや私のことを

「女中」としか見ていない。

それは出産後、ずっと感じていた。

彼の関心は全て子供に変わってしまった。

彼が私に向ける無関心という暴力に

私はずっと気づいていて

心がずっとチクチクと痛んでいたのだ。

 

彼の私への遠回しの表現は

無意識な分、本当にショックを受けた。

 

私たちは確かにお互いを愛していて結婚したはずだった。

でも、子供ができてからは

彼の愛はどこかに消えてしまったように感じた。

私はどうしようもなく寂しかった。

 

私たちがもっと笑っていられるように

子供を望んだはずだったのに

皮肉にも子供が私たち夫婦関係を

冷え切ったものになるとは…。

 

私はいつもいじめられる。

私はどうでも良い存在だ。

私は大切にされない存在だ。

私はぞんざいに扱われる存在だ。

私は彼からもう愛されない存在だ。

私は彼から疎まれている。

 

こんな想いが次々と出てきて

これを見ると涙が止まらない。

自分でもどうしたら良いのか

全くわからない。

 

彼が私に対してそう接してくることは

もちろん辛いのだが

もしかしたらこれをさかのぼると

両親の私に対する存在もまた

同じように愛されていないことに気づいてしまい

小さな私も一緒にシクシクと泣いているようだ…。

 

子供の誕生日は本当におめでたい一日のはずなのに

私は一人、深い悲しみに触れた一日でもあった。

旦那との距離

正直、出産してから約1年。

旦那との距離は確実に離れている。

でもそれを一体どうしたら良いのか

よくわからないでいる。

 

なぜなのかと問いかけてみると

3人で一つという感じも微妙だし

私と彼という関係も明らかになくなった。

 

私は子供の世話をする人。

彼もまた、子供の世話をする人。

どちらも子供にだけ矢印が向いていて

私と彼がお互いに矢印を向けることが

明らかに薄れた。

 

彼は父親という役割だけになってしまい

男性としての彼はどこか

本当に遠くに行ってしまったように思う。

 

そういう男女の関係がなくなっていくことが

家族なのだろうか?

 

なんだかとても大きなものを失いつつある今、

でもそれを一体どうしたら取り戻せるのだろうか。

それでも毎日続く子育てに引きずられてしまって

正直、よく分からないままモヤモヤしている。

家の内装は自分への問いかけ

1年前に購入した家の引渡しが先週終わり

今は内装の準備をしているところだ。

 

それにしても家の内装は

この空間をどのように使いたいのか?

どのような材質にしたいのか?

値段はいくらぐらいなのか?

本当に複数の質問が一度にやってきて

頭がパニックになる。

 

でも家の内装を通して

「私は一体、どうしたいと思っているの?」と

リアルに質問されているようだ。

 

そこでじっくり吟味して出てきた

私自身の考え、価値観に沿って選ぶ。

そうすればきっと

この家がもっともっと好きになるような気がする。

ゼロリセット勉強会

今日はゼロリセットを受けた後に初めて開催する

勉強会だった。

 

講座の後、ずっとノートワークをしていたのもあり

とても有意義な時間だった。

 

また、この勉強会が

今後、自分がやっていきたい空間に近い感覚だった。

 

なんとなく方向性が見えてきたように思う。

今は淡々とこのツールを活用できるように

日々の出来事から感情と信念を拾っていこうと思った。

 

どうしようもなく地味な作業に感じるが

なんだかとても身になりそうな感じがする。

「坂の途中の家」を見て…

このドラマの最終回。

昨日の真夜中に見た私は一人、

子供を起こさぬよう

嗚咽を必死で抑えながら泣いた。

 

家族や身近な人から

精神的な暴力を受けている人は

実は結構いると思う。

 

「相手を貶めて傷つけて支配して

 そうすることで自分の腕から出ていかないようにする。

 そういう愛し方しかできない人がいること。」

 

「両親や夫、義理の父や母

 医師や保健師、他の母親たち

 一つボタンを掛け違えたばかりに

 みんな声も届かないほど遠い人たちに思えて

 助けを呼ぶ声がどうしても出なかった

 それは決して見栄でもプライドでもなかったと思います。

 自分一人がどうしようもなく

 ダメで愚かな母親に思えたんじゃないでしょうか。

 そのことをもう誰にも

 指摘されたくなかったんじゃないでしょうか。

 助けを呼びたいのに呼べないことに

 身近な人は誰一人気づかなかった。」

 

「理想の子育てをしてあげたいのに

 できないのがつらい。

 いつも笑っていて欲しいのに、

 泣かせてしまうのが苦しい。

 小さなことの積み重ねにむしばまれて

 周りの人たちの正しい言葉に打ちのめされて

 子供に申し訳なくて

 私がお母さんでごめんなさいと

 自分を責めてしまう

 愛しているから間違ってしまう

 愛しているから絶望してしまうんです。」

 

「被告人に必要だったのは

 そのことを理解してくれる

 誰かの優しい視線と

 共感だったと思います」

 

判決時の裁判長の最後の言葉…

「しかしながら

 初めての育児で戸惑っているなか

 周囲の人の言葉、心ない言動に

 さらに自信をなくしてしまったこと

 誰にも助けてもらうことができなかったことや

 助けを呼ぶこともできなかったことは

 事実として否定できない

 

 被告人の罪は被告人一人によって

 なされたものではあるが

 その根本的な理由については

 本件に関係する夫や義理の母といった

 家族を含めた全ての人間の

 様々な事情が重なり合い

 それらが一手に

 被告人に対する

 大きな心理的圧力に

 なってしまったと見るべきである

 

 その意味においては

 被告人にとっては

 避けようもない行為だったともいえ

 その全ての責任を

 被告人一人に背負わせるのは

 必ずしも妥当ではない

 

 本来であれば

 関係する全ての人間が

 これを分かち合うべきであると

 裁判所は思慮します。」

 

どうしようもなくこれらの言葉に

心が揺さぶられた。

このドラマを見て思ったこと。

 

言葉にならないこと奥の奥の心を言葉にする。

普通の人であればすっかりスルーしてしまいそうな

声にならない微細な想いを丁寧に拾い上げて表現できる空間。

ネガティブを抑えることない空間。

そしてそれをお互いに受け止めてくれる空間…。

 

それこそが私が本当にしたいことなのではないのだろうか。

ふとそんな気持ちがやってきた。

ゼロリセットノートワークメモ(6/14)

★出来事

興味のある講座の説明会に参加したら

100万円近くの価格だった。

 

★ネガティブな感情

恐れ・恐怖

ざわざわ

不安

 

★心の叫び

こんなお金払えるわけないだろ!

ぼったくり!!

そんなのお金使ってどうなるの?

そんなのやってどうするの?

どうせお金の無駄でしょ。

 

★私が私に対する信念

●「私はお金をかけてもらえず、粗末に扱われる存在だ」

●「私の存在は人に迷惑がられる」

  「私はやりたいことにお金をかけてもらえない価値のない人間だ」

  「私は自分のやりたいことにお金を使ってはならない存在だ」

  「私は生きてるだけで迷惑だ」

 

★その他(過去にあった出来事)

・小学校の頃、ピアノを習いたいと言った時、

 母から「どこにそんなお金あるんだ!そんなお金ない!」と怒鳴られた。

・大学の受験費用をもらおうと思ったら父から嫌な顔をされた。