子育て、インナーチャイルド育て

海外での子育て&私の産後うつ記録

「ない」は「ある」を体感した時に自覚する

今日は中野真作さんとのカウンセリングだった。

彼とは不定期にポツリポツリとセッションを受けていて

気づけば3年ほど?お世話になっている。

 

今日はセッションの中で、

子供の頃、親からの見守られているという眼差しがなく

家庭での安心感を全く持っていないことに

気づかないまま生きてきたという話題がのぼった。

 

生まれて過ごした環境は違えど、

おそらく中野さんも私もきっと

同じような性質の痛みを感じていたではないかと思う。

 

その「安心感がない」

ということにどうやって気づいたのか?

と中野さんの問いかけられた。

 

以前にも触れているが、

私の家庭内では、

夫婦喧嘩の暴力や暴言などが日常茶飯事だったし

兄弟も四人いて忙しい日々だったので

当然、親からの温かい眼差しを受けるはずはなかった。

それよりも、幼い頃から私は

この危険な家庭の中で、

生き延びることだけで精一杯の日々だった。

 

そんな安心感がない家庭で育ってきたので

私の中では「安心感がある」状態を知らないし

その感覚が全く分からない。

分からない状態が続いているうちは

それは「ない」に等しかった。

だからなんの感情もずっと湧きおこらなかった。

 

しかし、大人になってから

それなりに恋愛をして

自分に向けられる眼差しを感じたり

今の旦那と一緒になってから

旦那からの関心を持ってもらったり、

自分以外の家庭の関係に触れるようになって

それなりに安心感とは何かを知るようになった。

 

それを知ったと同時に、

改めて自分の育った家庭を恨んだものだった。

そして随分と時間が経過した最近になって

どこにぶつけて良いものか分からない

怒りや悲しみが沸々と湧いてきたものだった。

 

その話からふと気づいたことがある。

 

私の子供を身近で観察していると、

例えば、彼女が一人遊びをしている時に

家事をやろうと子供の元を離れると

泣いてすぐに追いかけてくる。

 

しかし、側にいたり、抱っこしたりしていると

またおとなしく一人で遊び始めたり、

私にもたれかかったりしてくる。

 

あと他には、どんな時に

子供が激しく泣いていたか思い出して見た。

 

たとえば、家の中に初めから私がいなければ

旦那と一緒に遊んだりして

普通に過ごしているのだが、

私が帰ってきた途端に泣き出す。

他にも、私が家にいるのに、

子供をかまってない状態が続くと激しく泣く。

 

今日もセッション中に子供が泣き出した。

途中で私が消えたので泣いていたのと

日中は寝る時に一緒に添い寝しているのだが

添い寝をしてくれないと怒っているような泣き方だった。

 

私の中ではずっと、

なにか用事があるから呼ぶのだと思い込んでいた。

でも、実は何かを要求しているということ以外にも

ただ見ててもらいたがっているのかな?

とふと思った。

 

ただ、ずっとそこで見守っていて欲しい。

ただ、同じ空間にいて、関心を示してもらいたい。

ただ、その存在にいつも気づいてもらいたいのかな。

そんなことを子育てをしながら感じた。

 

そして書きながら思った。

 

ずっと私の中で存在してないと思い続けていた

私への関心や温かい眼差しや安心感。

私の子供の様子と同じように、

私がずっと渇望していたのは

まさしくこれだったのでは…と気づいた。

 

「ない」は「ある」と二つで一つ。

両方どちらも体験した時、

やっとそれが完成する。

 

あれこれ思っているうちに、

なんだか分からないが、鼻の奥がツーンとしてきた。