子育て、インナーチャイルド育て

海外での子育て&私の産後うつ記録

「坂の途中の家」を見て…

このドラマの最終回。

昨日の真夜中に見た私は一人、

子供を起こさぬよう

嗚咽を必死で抑えながら泣いた。

 

家族や身近な人から

精神的な暴力を受けている人は

実は結構いると思う。

 

「相手を貶めて傷つけて支配して

 そうすることで自分の腕から出ていかないようにする。

 そういう愛し方しかできない人がいること。」

 

「両親や夫、義理の父や母

 医師や保健師、他の母親たち

 一つボタンを掛け違えたばかりに

 みんな声も届かないほど遠い人たちに思えて

 助けを呼ぶ声がどうしても出なかった

 それは決して見栄でもプライドでもなかったと思います。

 自分一人がどうしようもなく

 ダメで愚かな母親に思えたんじゃないでしょうか。

 そのことをもう誰にも

 指摘されたくなかったんじゃないでしょうか。

 助けを呼びたいのに呼べないことに

 身近な人は誰一人気づかなかった。」

 

「理想の子育てをしてあげたいのに

 できないのがつらい。

 いつも笑っていて欲しいのに、

 泣かせてしまうのが苦しい。

 小さなことの積み重ねにむしばまれて

 周りの人たちの正しい言葉に打ちのめされて

 子供に申し訳なくて

 私がお母さんでごめんなさいと

 自分を責めてしまう

 愛しているから間違ってしまう

 愛しているから絶望してしまうんです。」

 

「被告人に必要だったのは

 そのことを理解してくれる

 誰かの優しい視線と

 共感だったと思います」

 

判決時の裁判長の最後の言葉…

「しかしながら

 初めての育児で戸惑っているなか

 周囲の人の言葉、心ない言動に

 さらに自信をなくしてしまったこと

 誰にも助けてもらうことができなかったことや

 助けを呼ぶこともできなかったことは

 事実として否定できない

 

 被告人の罪は被告人一人によって

 なされたものではあるが

 その根本的な理由については

 本件に関係する夫や義理の母といった

 家族を含めた全ての人間の

 様々な事情が重なり合い

 それらが一手に

 被告人に対する

 大きな心理的圧力に

 なってしまったと見るべきである

 

 その意味においては

 被告人にとっては

 避けようもない行為だったともいえ

 その全ての責任を

 被告人一人に背負わせるのは

 必ずしも妥当ではない

 

 本来であれば

 関係する全ての人間が

 これを分かち合うべきであると

 裁判所は思慮します。」

 

どうしようもなくこれらの言葉に

心が揺さぶられた。

このドラマを見て思ったこと。

 

言葉にならないこと奥の奥の心を言葉にする。

普通の人であればすっかりスルーしてしまいそうな

声にならない微細な想いを丁寧に拾い上げて表現できる空間。

ネガティブを抑えることない空間。

そしてそれをお互いに受け止めてくれる空間…。

 

それこそが私が本当にしたいことなのではないのだろうか。

ふとそんな気持ちがやってきた。