子育て、インナーチャイルド育て

海外での子育て&私の産後うつ記録

夫婦の価値観〜其の二〜

昨日に続き、

夫婦の価値観が全く異なることを

感じさせられることが起こった。

 

旦那の勤めている会社の

社長の息子夫婦が

数ヶ月前、オーストラリアに移住してきた。

 

移住する前にも

息子夫婦が住むマンションの

家具、家電の調達や

インターネットの手続きもろもろ

旦那は必死で奔走していた。

 

彼があんなに必死になっている姿を見て

私は強烈な違和感を覚えていた。

 

彼らがこちらに来てから何度か会い

食事をしたことはある。

悪い人たちではないことも確かだ。

 

しかし、私からすれば

「旦那の仕事を通した付き合いの人」であり

また、仕事の関係で言えば

「社長の息子」ということである以上

「彼らを不快にさせてはいけない」

「彼らを喜ばせないといけない」

というような

暗黙の上下関係や利害関係の匂いがプンプンした。

 

それは潜在的にとても気を遣うし、

私はそういう条件付きの付き合いで

心を通わせることはとても難しい。

 

それに、実際に食事をした時にも

予定調和的な雰囲気や、

不自然な作り笑顔をすることにも疲れたし

中国語でベラベラとまくしたてるように話されるのも

産後8ヶ月の今の私には正直とてもしんどい。

 

だから今の私は特段、

そこまで接触したいとも思わない。

申し訳ないが、その程度の関係だ。

 

今日の夜、旦那が突然、私に

これは日本語でなんと言う意味かと聞いてきた。

 

なんでそんなことを聞くのかと言ったら

社長の息子夫婦の奥さんの方が

日本語に興味を持っているらしく

私に聞いてもらいたいと言ってきたようだ。

 

また、その奥さんは旦那を介して

私と直接コンタクトを取らせて欲しいと

中国でよく使われている

We Chatという

チャットアプリのIDを教えても良いかと聞かれた。

 

私はそれをなぜか直感的に

受け入れたくなかった。

野生の勘としか言いようがない違和感だった。

 

それを敢えて説明するならば、

初対面にほぼ近い人が

ズカズカと私の大切な境界線に入り込んできて

心理的な距離を急に近づけてくるような感じだった。

 

そういう人に限って

急速に私に近づいてくるのは目的があって

その相手は、自分の利益だけを考えていて

私はその利益を満足させるというだけの人間。

今回については奥さんは日本語を学ぶために

私を利用したい。

単にそれだけのことだと思う。 

 

以前の私であれば

相手の空気を読んで受け入れたかもしれない。

しかし、もうそれは過去の自分だ。

 

私は教えたくないと言うことを言うと

旦那が私に対して明らかに不満そうにした。 

なので私は仕方なく教えるとしたら

前に使っていた古い方のIDにしてくれと言ったら

しきりになぜなのかと聞いてきた。

 

私は「友達ではないから」と言ったら

彼は「何を偉そうに」と私に言って来た。

そして彼はこう言った。

「俺の友達のことをそんな風に扱うということは

 俺ことを見くびるのか」

 

私はなぜそんな発想になるのかが

全く分からなかった。

 

それに私はこのアプリは

心理的に本当に近しい人とだけしか

使いたくないと思っていて

実際に登録しているのも

本当にコンタクトを取りたい人だけに

限定させている。

 

以前に誰でも受け入れてしまい

失敗したことがあるからだ。

 

それになぜ

旦那の友達が聞いてきたのであれば

なんでもYESと言わなければならないのか?

もうその時点で上下関係なんじゃないかと改めて思った。

 

そもそも本当の友達であれば

YESを言おうがNOと言おうが

きちんと尊重してくれるはずだ。

  

どうやら旦那にとっての「友達」は

私にとっての「単なる知り合い」も含まれるらしい。

そして旦那の呼ぶ「友達」が

私にとっての「単なる知り合い」に過ぎなくても

私も旦那と同じように友達のように扱わないと

彼を尊重していないことになるらしい。

 

私からすれば、

それは境界線越えだと思うし

利害関係であり、不健全な関係に感じる。

 

国際結婚での価値観の違いなのだろうか?

個人の観点での価値観の違いなのだろうか?

今の時点では全く分からない。

 

ただ少なくとも感じるのは

彼はどうやら「集団の和」を重んじていて

私は「個人の考え」を重んじているということだった。

 

今まではとは違う状況が目の前に現れて来て

初めてお互いの価値観が違うことが浮き彫りになっている。

 

どうやら夫婦は、

お互いの価値観をただぶつけ合うだけでは壊れてしまうようだ。

お互いの価値観の背景まで十分に吟味し

柔軟にその価値観を変形させ、変容させながら

新しい価値観を創造する。

そうやって乗り越えていかなくてはならないらしい。

 

なかなか難しく骨が折れるものだ。